個と組織を考えるキャリア・コラム
個と組織を考えるコラム
~真にキャリアが伸びるとき~
女性・管理職の経験を基にした「組織における個のあり方」
代表 佐藤 恵子
自分の「リセット剤」は自分で調合する?
前回のコラムでは、「自己肯定」について、具体的事例とその強化方法について綴りました。今回は、自分についてネガティブに考えがちな状態のとき、いかにご自身を落ち着かせ平常心をもたせることができるか、について取り上げます。
以前、社会起業家でアジアの最貧国バングラディッシュで地元の材料を使用するバッグの工場を設立し、日本で販売する山口絵理子さん(マザーハウス代表兼デザイナー)にお話しを伺った際、彼女は次のように教えてくださいました。まずは、状況そのものをしっかりと受け止めて落ち込む。次に、比較対象を設定し相対的にダメージを軽減するとのこと。次の言葉が特に印象的でした。
「私はボトムと比較するから、いつもハッピー。感謝しています」
何かに失敗したとき、隣のだれかと比較するのではなく、バングラデシュの貧しい人たちと比べれば、「自分はなんと恵まれているのだろう」と感じるそうです。また、山口さんは小学生の頃にいじめにあい、クラスに入ることすらできなかったそうですが、学校の門をくぐるところから挑戦。その後登校することができるようになったのを「ものすごい成功体験」と語っています。(朝日新聞社の女性向けキャリアサイト「ジョブラボ」にて佐藤恵子がコラムを担当した内容より抜粋)
大病や大きな怪我を経験したことがある方、また大戦を体験した人生の大先輩方にもこれに似たような比較対象を設定する方が多いように思います。最近では、3月の震災の直後に、被災地の方でなくとも精神的に落ち込み、不安定な方が多く見受けられました。かくいう私もその一人です。しかし、80歳代の方とお話をした際、
「戦時中(東京大空襲・原爆投下を含む)に比べれば、まだ大丈夫。日本は必ず復興する」
と力強くおっしゃり、その人生の大先輩にたくましさ以上のものを感じました。
また、自分の状態をより過酷な状況と比較する方法のほかに、今(を生きる自分)とより長い時間軸やより大きな存在と比べることにより、ネガティブな状況を客観視あるいは存在の小さなものとしてとらえ落ち着かせるという方法があります。
個人的には、世界で最も古い史書ともいわれる司馬遷「史記」に、何度となく助けられています。以前、大怪我をしたときに読んだことがきっかけで、以来健康状態がよくないときや、何か辛い状況だなと思う時には、自然と「史記」を手にとります。紀元前の古代中国に思いをはせながら、「点」にすぎない自分の存在を改めて知ることに。また、現代にも通じる仁・徳、戦略性、組織等についての考え方はもちろんのこと、あわてずに時が来るまで待つことの大切さなどを学ばせていただいています。この「史記」は、私にとり気持ちを落ち着かせてくれる最高の「リセット剤」といえます。
まずは、状況をしっかりと受け止めご自身を労わってあげてください。そして、ご自身にとりもっとも合った「リセット剤」を知り、状況に応じて適用できるようにすることをお勧めします。
あなたには、どんなタイプの比較対象がしっくりくるでしょうか?
(2011年8月1日)
佐藤恵子プロフィール
あなたは、自分をどのように捉えていますか?~「自己肯定」をめぐって~
前回のコラムでは、「自分を知る」ということについて、東北・関東大震災後に外国人から見た日本人の特性~道徳的、教育レベルが高い等~を例に挙げながら、他者評価の重要性について綴りました。今回は、「自分を知る」ということに並び、キャリアプランニングを進める前提として大変重要な「自己肯定」について取り上げます。
そもそも、「自己肯定」とはどんな状態を指すのでしょうか?
私は次のように考えます。どんなときも「あなた」という人物の最大の理解者は「あなた」ご自身であり、「あなた」という身体・精神が経験するさまざまな事象を、一生共にしていく一番大切なパートナーとして信じる行為であると――――
これまで、私は1か月に1度数時間のペースを目標に、身近にいらっしゃりながらも自他ともに充実したキャリアであると認めている方々にインタビューさせていただいていますが、こうした方々は、ご自身について常に「自分を信じる」、「自分を認める」、「自分を好きになる」とおっしゃるケースがほとんどです。事実、「根拠なきポジティブさ」と表現する方もいらっしゃいます。表現に多少の違いはあれど、ゆるぎない「自己肯定」の姿勢を貫いているといえるでしょう。
インタビューを重ねながら、「自己肯定」の傾向の強い彼・彼女らには次のような傾向があることに気が付きました。例えば、掲げた目標に対しどんなことがあってもコツコツと継続して準備したり、周囲の人たちが「できるわけがない」と思うことでも、十分にご自身なりにリスクを考慮したうえで実行し大きなことを成し遂げる、といったことです。こうした方々は、共通して、幼少時代から両親から「あなたは大丈夫」、「きっとできる」といった声を常にかけられ続けているか、または先生や身近なメンター的存在の方々から、「君ならできる」と期待をかけられていることが多いのです。
例えば、経営コンサルタントのS氏は、幼いころから母親に「お前はできる子だよ」といつも声をかけられて育ったのこと。何かを行うときには、基本的には建設的に~できるにはどうしたらよいか~を考えることが、当たり前だとおもっていたとのことです。仕事仲間と話をしながら、こうした考え方を持たない人が多いことに気づき、はじめて自分の育った環境に感謝するようになったといいます。S氏は、企業勤務時代、お客様から指名でコンサルティング業務を受注することになって以来、独立に向けて会社の仕事と独立に向けての準備を経て独立。現在は、コンサルティング業務とセミナー、執筆活動とのことですが、ほぼ毎日午前3時ごろまでコツコツと執筆を継続しています。
私の場合は、親の影響としては前述のS氏に近いのですが、会社勤務時代、営業ノルマが大変厳しい部署へ異動したとき、その部署が取り扱う商品についての知識は極めて低い状態でしたが、上司から「君なら○○が達成できる」と言われました。毎年対前年比+20%以上の取扱高が課せられ、年間2桁の億円単位での新規または拡大案件での成約が必要であったため、普通なら無理かとあきらめてしまいそうです。しかし、自分を肯定的に受け入れ、期待をかけてくれている部門・上司に報いたい気持ちが持続し、業務に集中することができたのだと思います。
では、育った環境や、メンターなど他者から「自己肯定」に繋がる影響を受けない場合や、「自己肯定」を自ら強化したい場合はどのようにすればよいのでしょうか?直接的な方法としては、自分に対し意識して肯定的な言葉をかけることをお勧めします(例:「私は〇〇ができる!」「よし!」「OK!」等)。また、身体的なコンプレックスをお持ちでどうしても自分に対して肯定的になれない、という場合は、置かれた状況にもよりますが可能な範囲で自分に自信が持てるような処置を施す、といったことも一策といえるでしょう。プロのアドバイスを受け体型で気になる部分を美しくカバーする着こなしを学んだり、歯並びや色が気になるのであれば矯正・ホワイトニングをしたり、どうしてもくせ毛がきになるのであれば縮毛矯正をしたり、といったことも考えられます。
また、間接的に「自己肯定」へ自分を仕向ける方法もあります。これには時間はかかりますが、習慣化すると周囲を巻き込み強力なパワーを発揮します。それは、ご自身に関係する人を出来る限り大切に接し、できる限り肯定的に捉えることです。あなたが周りの方を大切にし、励まし、明るく接すると、これを周囲が理解・評価し、最終的にあなたを大切にし、肯定的に捉えることにつながります。「返報性の法則」に通じるものがありますね。そして、周囲の人が自分に対して肯定的で励ますようになると、ご自身の自己概念が肯定的へと矯正または強化されるだけでなく、お互いに肯定的な態度を続けることによる相乗効果でチームのパフォーマンス向上にもつながります。このため、日頃からご自身の態度が組織や家族へ与える影響について配慮すべき、ともいえます。
(2011年5月31日)
佐藤恵子プロフィール
自分を知る ~震災が教えてくれるキャリアに通じる2つのポイント~
3月11日に発生した東北・関東大震災。日々津波による被災者・行方不明者数が増え、さらには福島原発事故への対応が日夜現地で続いています。被災地・関係者の方々の無事を祈る日々が続いており、あまりにも大きな天災と2次災害という現実は受け入れ難く動揺してしまう方も多いのではないでしょうか。実は私もその一人です。発生当日は、新潟へ車で移動中でしたが、土砂崩れの道を迂回しながら大停電地帯を夜間走行したときは、正直現実とは信じたくない状況でした。そして、ようやく目的地に深夜たどり着いたとき、TVで観た被災地の光景には言葉を失いました。
発生から約1週間が経過し、被災地への支援活動や原発事故への対応が継続的に報道されるなか、実は日本人の私たちが日々気が付かなかった「日本人らしさ」について、海外の人々が評価しているということを知りました。
複数の国の方々が、口をそろえて「物資が不足する現地で、略奪なしにきちんと並んで配給品をうけとる」「配給物をゆずりあう」ことに驚き、評価しています。日本人の私たちからみればある程度当たり前なことが、海外の方からみれば信じられない程「道徳的」「教育レベルが高い」こととして、twitterでつぶやかれているのです。
このことは、私たちにキャリアにも関連する2つの重要なことを教えてくれます。
1つ目は、「自分の強みや特徴は、自分には当たり前すぎて気付きづらい。むしろ、他者のほうが気付くことが多く、客観的な評価が得られやすい」ということです。
今回の震災では、外国人の方々により「日本人のよさ」を教えていただいたことになりますが、キャリアを考えるうえでも、他者による評価は考慮すべき重要な項目です。これまでの生き方を振り返る「自己棚卸し」の際、自覚する得手・不得手や仕事のやりがいだけでなく、これまで「誰からどんなことについて評価されたか」も冷静に分析する必要があります。
2つ目は、事故や災害等で窮地に立たされたときに、どのような行動・思考をするかで真の姿が浮き彫りになるということです。今回の災害では、私たち日本人の秩序、冷静、譲り合い、といった行動・思考の特質が明らかになりましたが、一人一人のキャリアにおいては、事故に限らず、急な転勤や転職等の転機の際にとる、ご自身の行動・思考が「あなたはどんな人なのか」を教えてくれます。
あなたは、実はリスクを顧みずにチャレンジするタイプなのか、それとも守りに入るタイプなのか。普段はおとなしいけれど、土壇場でチームを取りまとめリーダーシップを発揮するタイプなのか。判断を即座にする方なのか、それともある程度の意見を聴きながら多数決をとる方なのか等に気づくチャンスです。
また、あなたにとり、
「一番大切な人は誰か?」
「仕事で何を大切にしているか?」
「捨てても構わないものは何か?」
等々、普段は職場での様々なしがらみや複雑な利害関係により、優先順位をたてづらいことでさえ、比較的短い時間で決めることができるでしょう。
なお、事故や転職などの転機を迎えなくとも、「あなたはどんな人なのか」を知りたいときには、私の過去の怪我の体験から次の状況を想像することをお勧めします。
「後半年の命なら、何をやりたいか?」
(私の場合は、「重症の怪我が仮に完治したら何をしたいか」を考えました)
または、この裏返しで
「あと半年の命なら、何をやり残したか?」
(私の場合は、「重症の怪我がこのまま治らないなら何をやり残したか」を考えました)
について考え、思い浮かぶことをノートに書きだしてみてはいかがでしょうか。
このように、日々震災の報道が続く中、実はキャリアを考えるうでも参考になる2点がありました。他者評価や転機や時間を限定したときの優先順位づけは、あなたにとり「自己を知る」ためのかけがえのないヒントとなることでしょう。
(2011年3月19日)
キャリアは誰が評価するのか?
前回のコラムで、キャリアはあなたの意思で決めるもの、すなわちキャリアの決定権はあなたにあることをお伝えしました。そこで、今回はキャリアは誰が評価するのかについて綴りたいと思います。
私たちは、ともすると「〇〇さんは、とてもいいキャリアだ」というように、一体何について、何と比較して「いい」のか曖昧なままこの言葉を使う傾向にあります。
そもそも、「いい」キャリアとは一体何のことでしょうか?誰かと比較してでしょうか?そうであれば、比較対象は同僚ですか?ご近所ですか?同窓生ですか?何かの基準値に対してであれば、偏差値の高い大学・大学院で学ぶことでしょうか?また、倍率の高い有名な会社に就職することでしょうか?年収平均金額に対してどの程度多く年収を受け取ることですか?時給ですか?部下の数ですか?表彰を受けたことでしょうか?
恥ずかしながら、30代半ばまでの私は、これらの対象との比較で一喜一憂していました。仕事はほどほどにし育児や家事に注力している人と比べては、仕事に打ち込み少しでも評価されることが「いい」キャリアに近づくのでは、と思うことすらありました。しかし、家庭での役割を重要視している人たちが、子育てが一段落し温かな家庭生活をエンジョイしている姿を見るにつれ、比較すること自体がナンセンスであることに気づかされました。それぞれが、重要と選んだ役割を全うし、ご自身で充実感を得ることこそが大切なのだと・・・
結局のところ、誰か・何かと比較するのではなく、ご自身にとり満足・納得のいくキャリアでなければ、全く意味がないといえます。むしろ、ご自身の過去と比較して成長・成熟・やりがいを感じられることや、大切な人との係りでの充実感こそ大切といえるのではないでしょうか。
そこで、次の状況をイメージしてみましょう。
今のあなたは、3年前のあなたと比べてどのような成長がみられますか?また、3年後に在りたい姿はどんな姿でしょうか?その時のあなたは、どんな人に囲まれていますか?
この答えが、あなたご自身にとっての「いい」キャリアのヒントとなることでしょう。
次回は、ご自身が目指すキャリアへ近づく方法について考えます。
(2011年1月19日)
キャリアは誰が決定し、推進するのか
このコラムをお読みになる方は、何かしらご自身または上司や部下、社員全体の組織における「キャリア」について真剣に考えていらっしゃる、あるいは迷っていらっしゃる方なのではないかと思います。
個人の「キャリア」は誰が決定するのか、推進するのでしょうか?
今回は、誰が決定するのかについて綴ります。
「私は長男だから(または長女だから)家を継がなければならず、選択の余地がなかった」という方。あるいは、「次男(または次女)だから将来頼るべきところがない」、など生まれた順番で条件が違うという方。また、「親の事業が倒産して」、とか「母子家庭なので」、はたまた「経済的な事情で望んだ道をあきらめた」という方もいるでしょう。
逆に、「裕福な家庭に生まれたばかりに、家族間の財産をめぐるトラブルが多く人間不信になってしまった」と嘆く人もいます。このほかには、「恋人と遠距離だったから別れてしまった」、「家族の転勤にあわせて引越しを余技なくされ、慣れない土地で苦労が多かった」と嘆く人も少なくありません。
仕事の環境では、「上司に付き合うのはこりごりだ」、「どうしても逆らえない派閥がある」など、自らどうすることもできない境遇に悩む方も多いでしょう。
さらには、もう治らぬ怪我や病気で、通常の生活には戻れない環境の方も実は大勢います。挙げればきりがないほど、状況は様々です。
ただし、これほどまでに異なる境遇の人々であっても、共通に与えられているものがあります。それは「思考」と、考えることから導き出される「意志」です。もちろん、脳死の状態など、一部の方は「意思」が確認できないか、仮にあったとしても伝えることができず除外しなければなりません。しかし、目を閉じれば、あなたはどんなことでも少なくとも想像することができますね。
ここで、私の例を挙げさせてください。私はある大きな事故で頚椎と鎖骨を一度に骨折するという経験をしたことがあります。病院に収容されてからは寝返りすらできない状態が続きました。
幸い、奇跡的に半年後に通常の生活に戻ることができましたが、療養生活中は体を起しても頭の重みで首が痛くなり、怪我から一ヶ月以上経過後も五分起きては寝る、の繰り返しでした。しかも、怪我からしばらくたったある日、会社「戦力外通告」を言い渡されました。それまで従事していた仕事について、新しい人を外から雇うという内容です。個人的な休暇中の事故であり、頚椎骨折では完治する保障は一切ないため、この通告を黙って受け入れるほかありませんでした。取組んでいた商品はまるで自分の子供のように思っていましたので、子供を奪われるような悲しみと事故にあった自分を哀れみました。その連絡を受けた日から三日三晩眠れませんでした。
その後リハビリを続け、半年後には私に代わり仕事に従事している人のコピー取りとファイル整理要員として勤務を再開。職場復帰直後は、まだ一日中首を起していられる状態ではないので、早朝出勤を月・水・金とやらせていただき、少しずつ勤務時間を長くしていきました。この時の条件が、通常勤務ができるようになったら、他部署があいていれば自主的に応募するか、外部に就職する(=退社する)でした。
一見、未来がないような状況かと思われるのですが、実際の私は違いました。そもそも治らないないかもしれなかった大怪我が、本当に少しずつではありますが治り、事故から6ヵ月後には体力は相当落ちたものの、普通の生活ができるレベルに戻った、それが信じられないように嬉しかったのです。毎日普通に起きることができ、会社で人とコミュニケーションできることが本当に楽しいと感じるという、私の中での劇的な変化を感じていました。
療養中の頃の私に戻りますが、実はこのときに私にとり自由だったものが一つあります。これは、「考える」という行為です。首から上が動かせない分、かえって自在に過去・現在・未来へと思いを膨らませることができました。
それまで読んだことがなかった「三国志」や「史記」など、長編歴史小説等を読みながら、古代中国に思いを馳せたり、志を成し遂げるまでに数年以上かけるのは当然なのだと感心したり。また、最期まで忠臣を貫いた人を知ることができました。スケールの大きさに驚きながらも、人間の征服欲・私欲など時代を経ても現代に通じるものについて感じるところがありました。当時、全く動けない状態にいながら、感動に浸っていました。
「なんと自分はちっぽけなんだろう」
「ちっぽけながらも、これまで生きてくることができた!このことに感謝」
さらには、
「仮に、完治したらどんな生き方をしたいだろか」
と同時にこの裏返しで
「このまま治らないとしたら、何をやり残しただろうか」
を考え抜き、シンプルに3つに絞り込むことができました。
その3つとは、
・仕事などを通じて社会と係わっていたい!(仕事をしたい)
・直接お世話になった人に到底充分な恩返しはできないけれど、何か自分から社会に貢献できる活動をはじめよう!(誰かの役に立ちたい)
・大学などで専攻した内容をキャリア上どうしても活かせないので、ライフワークとして取り組んでみよう!(大学時の専攻分野への取り組み再開)
というものです。
一番目の「仕事がしたい」については、一体自分には何が向いていてやりがいを感じられるのか、体がまだ不自由で動けなかったこともあり時間が充分すぎるほどありましたので、徹底的に自己分析することにしたのです。
性格・価値観・それまでに取組んできた仕事で好きだった仕事・評価された仕事等々、延々と紙に書き出す、という作業をしました。そして、数年間の経験があり、自分でも好んで取り組み、且つ会社側からも評価いただいていた、決済サービス関連の法人営業という仕事がそれであることに気がつきました。その結果、勤務先と外部にて就職活動をし、双方で内定をいただき、結局勤務先内での異動が決定したのでした。
実は、完治後の異動先での仕事は、当時は他部署からあまり人気がある仕事ではありませんでしたが、私は取り組むことが楽しくてたまりませんでした。主に外資系の大法人を担当し商品の拡販に取組んだのですが、お客様である外資系企業の経理・財務・購買・総務の担当者マネージャーや部長職以上の方々、またCFOやCEOにお会いすることについて、心からの感謝を自然にもって接することができました。そして、担当した方々が、私が提出したレポートその他をうまく社内活用され、(その方が)社内評価を受けたり昇進されることは本当に嬉しく、営業冥利につきるものでした。
当時の担当はコンサルティング営業でしたので、これに関する本・セミナーは積極的に読んだり参加したりし、自然に楽しみながら修得。やがて怪我からの回復後に着任したということを好意的に理解してくださった上司・部門・関係者全員のお蔭と、やや好況に転じていたこともあり、実績を認めていただき社長賞を獲得することができました。
現在、幸いにも怪我から完治し約7年半が経過。当時の療養生活の間中「考える」という行為ができたからこそ、その時に導き出された「私らしい生き方」の方向に則って歩むことができているのだと感じます。むしろ、その怪我を経験したからこそ、考えをめぐらせることができ、その後の進むべき方向を自分の「意思」として決定しえたのだと思います。
このため、何か障害がある、または条件がある方が「考える力」というのはかえって伸びるのではないかと考えます。どうぞ今の境遇について障害などを感じる方も決して諦めないでください。ご自身の「考える」行為から生まれる「意思」はどんな境遇でも可能であることをお伝えしたい、と強く思います。
この「意志」こそ、人生そのものであるキャリアをどの方向にも導くことができる、車でいうハンドルなのです。
(2010年11月11日)
プロローグ
企業勤務時代を振り返って思うこと
今や大企業に終身雇用されることが当然であった時代は既に過ぎました。長期間の雇用が保障されない派遣社員や外資系企業に勤務する方だけでなく、日本の企業に勤務する方、そしてこれから社会人になる方にとり、次のような認識をお持ちの方が多いのではないでしょうか?
・サバイバル競争が激しくなった
・・・なので、非常に不安
・会社は定年まで面倒を見てくれない
・・・なので、対策をみつけなければ!
・本当に自分にとりやりがいのある仕事をしたい
・・・けれど、自分は何が向いているかはっきりしない
・評価されるのを待つだでなく、効果的にアピールしなければならない時代
・・・けれど、自分は何が本当に得意なのか?また、どうやってアピールをすべきなのだろう?
・とはいっても、仕事とプライベートを充実させて楽しく生きたい
・・・けれど、毎日の仕事に追われて楽しむ暇がない
そんな時代、組織において、一人一人の持てる力を最大限発揮していくにはどうしたらよいのでしょうか?
私にとりNYに本部がある大企業の日本支社での勤務経験は、組織で個の力をどのように発揮するかを大いに考えさせてくれました。事故による大怪我で寝がえりすら打てない時期、自宅静養、そしてリハビリ期間中の勤務経験、その後の異動先での業務・・・組織と個の狭間で、葛藤が続いた時期は正直ありました。葛藤が長いほど、深刻なほど、その後に得た充実感は言葉にならないほど。独立して思うのは、その当時の経験は、なんとかけがえのないものだったか、ということです。
2009年キャリアセットを設立、現在企業人事の方々と従業員様向けのキャリア開発関連の研修を、また個人のお客様向けにはキャリアを伸ばすためのヒントについてのトークや個別キャリア相談を提供しています。2010年1月には、キャリア・マネジメント研究会(CMW)を立ち上げ、現在約50名程*の仲間と勉強会を、そしてライフワークである、身近にいながらも充実したキャリアを歩まれている方へのインタビューと考察(「となりのスーパーマン・スーパーウーマン」)等を通じ、「組織における個のあり方」を問い続ける日々です。
*2011年6月現在約70名
(2010年9月18日)